雑記帖 - つれづれのことのは

No.31
金時豆

金時豆のパンクさせない炊き方。洗った金時豆1カップと3カップの沸騰したお湯、塩を小匙半分をポットにいれて一晩おきます。このまま、鍋にいれてもう一度沸騰させお砂糖とお醤油を足し落とし蓋をして、後は、ことこと30分ばかり細火で炊くだけ。この方法で、まず失敗なく炊けます。でも、金時豆はパンクしたのもおいしいな。

(2002-03-12)

No.32
酢のもん

今日も高岡は、春を通り越して初夏を思わせるような暖かさと思ったら「春一番」が吹いたのです。ストーブなしですごせる一日でした。暖かくなると、とたんに、酢のもんがつくりたくなり、分葱といかの酢味噌和え、セロリの紫蘇ドレッシング和えと、せっせと作りました。その上、本棚を整理したとき、たまたま開いたページがなんと「おはぎ」。季節は、ぼたもちなのですが「じゃ、これも」と餅米も小豆も買い置きがあったので、作ってしまいました。すぐき漬けと一緒に食べながら、気が付いたら4個目のおはぎに手を伸ばしていたぺこでした。

(2002-03-15)

No.33
グレートジャニー

昨晩、「グレートジャニー8」を観ました。探検家で医師の関野吉晴氏が、南米最南端を出発して人類発祥の地アフリカを目指した10年間に渡る旅。10年間と口で言えば一言ですが…。関野さんは、シャイで地味で言葉少ない人ですが、とても強靱な意志の持ち主なのでしょう。自転車やカヌーやラクダで行く旅は、動力に頼らない旅でもあり、自然に逆らわず人間の能力を発揮して続けられたことに、感動しました。

訪れた地での、様々な人達との素直な心の交流にも観ている者を引きつける暖かさがあります。アフリカの草原を野生動物とともに自転車で走るシーンにはびっくり。決して、ただ危険を顧みない冒険野郎というのではなく、結婚式に参加したり、イスラムのラマダンで断食を経験したり、人間の生活を共にしながらの旅であることに親しみを感じ、氏の人間性をみる想いでした。目的の地で「人類発祥の足跡は、家族のものです」という時の表情がなんともさわやか。人間と生命の賛歌をありがとう。

(2002-03-16)

No.34
1と2はどちらが大きいかの話

絵:どっちがおおきい?
どっちがおおきい?
本当の豊かさとは何かを考えさせてくれた本に暉峻淑子著「豊かさとは何か」(岩波新書)があります。

暉峻淑子先生が西ドイツの小学校で体験した1年生の授業風景。先生が「今日は1について考えてみましょう。これが1です。では、みなさんの生活の中で1を出してみてください。」と問いかけると、子どもたちは口々に、「昨日、お母さんに一回叱られました。」「学校へ来るまで電車を一回乗り換えました。」「お兄さんと1回喧嘩した。」「僕の来た階段は、1が連なっているんだね。」

こんな話しを子どもたちは一週間毎日続けました。それから、先生は「次は2です。2匹の猫、2本の鉛筆、2枚の紙、2人…。では、このまえ学習した1と2はどちらが大きいですか?」と聞きました。あれだけ1について学習したから、2と答えるだろうと思っていると、「ぼくは1の方が大きいと思います。」という子がいるではありませんか。その時、先生は決して否定するような顔つきをせず、回りの子たちも冷やかしたりしませんでした。

先生「あなたは、どうして1の方が大きいと考えたの?」その子は「この前、ぼくと兄さんは、お母さんから大きなクッキーを1個ずつもらったの。兄さんはすぐに食べてしまい、ぼくに半分こしようと言ったの。仕方なしに、ぼくはクッキーを半分にして兄さんに渡しました。2個になったクッキーは1個よりも小さかったから、1の方が大きいと思いました。」

その説明を聞いた先生は、教室の後ろに置いてある地球儀を取り出して、「地球は大きいですね。そして地球は1つです。でも、この地球にはたくさんの国がありますね。髪の毛の色が違う多くの人達がいます。いろいろな言葉もありますね。神様に対するお祈りの方法も違い、たくさんあります。1つの地球だけれど、大きいねぇ。」先生はこれだけしか言いませんでした。

教育の本当の目標(真の豊かさ)とは子どもが自分自身の価値に目覚めること。自分が自分の人生の主人公であることを体験的に知っている子は、大人になった時に自立します。暉峻淑子先生の講演の様子を読み、おせんべいをぱっきんと割りながら、さて、わたしの自立は?と考えたことでした。

(2002-03-19)

No.35
たいした一品

魚屋さんで黒鯛を一匹買い、おじさんの見事な手さばきに見とれながら、「ちょっと、やっかいなこと頼んでもよかろか?」とおそるおそる尋ねて、「実は皮も欲しいがいけど」とお願いしたのが始まりです。「鯛の皮はさぁっと湯通し、大根おろしとポン酢和え、七味をかけると、酒の肴にさいこうながいちゃ!」「捨てるところを、そんなに美味しく食べて貰えるちゃ、なんちゅう嬉しいがやろ」こんな、会話を交わしながら、丁寧に鱗をはずして貰えました。

じつは、ここが、一番大変で手間のかかることなのですが、そこは馴染みのお魚やさんのこと。それ以来、皮が無料でもらえるようになったというわけです。鯛の皮のあえものは、皆さんにも是非お薦めの一品です。どうぞ、お試し下さい。

(2002-03-19)

No.36
山茱萸・三椏・蓮翹

ご近所の家々の庭に、さんしゅゆ、みつまた、れんぎょうが植えられています。この季節になると、ちょっと遠回りになっても通りたい横丁の小道添い、道行く人達の目の楽しませてくれます。

山茱萸の黄や町古く人親し 大野林火

カナダへスキーにでかけたトさんを空港に送った帰り道、黄色が光輝いて眼に飛び込んできました。も~いっときに満開の花々が微笑み、まん丸く、舞い踊り、枝一杯です。明るく暖かい色合いの黄色は、ちょっと寂しく静かになった気持ちをさっしてくれているかのよう。

行き過ぎてなお蓮翹の花明り 中村汀女

もっとも、帰りに観た「荻須高徳」展の余韻と贔屓の手打ち蕎麦やさんのおいしさで、すっかり満足・満腹でうっとり、うとうとの状態でもあったのですが。

(2002-03-20)

No.37
○・△・□

陳健一氏の「プロのコツ」に習って、我が家の中華鍋にいつのまにか「塵も積もれば」でこびりついた油の滓を焼き切る作業をぽこさんと交替でしています。15年以上使ったお鍋が、つかいこんだ艶やかな輝きでプロのような鍋になりました。ふ~っ、陳先生にお見せしたい。これでまた、陳さんのお店のように美味しい野菜の炒め物を作れるぞ~♪その間、目に付く台所の汚れもあちこち掃除しながら、気がついてみれば所用時間4時間半。留守番隊は忙しい。それにしても、鉄はエライ!このシンプルなデザインはどうだ!と磨けば磨くほどにお鍋が愛おしくなってくるのでした。究極は、やはり、仙厓さんの○・△・□につきるのかも。

(2002-03-22)

No.38
高桑英隆さんの「うつわ展」

今日は、地元で活躍の陶芸家高桑英隆さんの「うつわ展」に行って来ました。伊万里で修行し、白磁や青磁の、シンプルで日常の生活に使える器を作り続ける作家さんです。お茶の時間の湯飲みや取り皿、大皿、大鉢とどれも料理を引き立ててくれる作品ばかりで、毎日のように使って愛用しています。今回は、麦わら手の中鉢、取り皿、湯飲みなど、そして花入れにもなりそうな白磁の徳利などいくつか作品を求めました。器を見ると、なにを盛ってみようかなとあれこれ考えるのが嬉しくなります。

(2002-03-24)

No.39
桜満開の結婚式

桜満開の京都へ息子の結婚式に出かけておりました。心配された空模様でしたが、二人の熱気に?低気圧は予定を早めてそそくさと退散。青空に映える満開の桜を愛でながら、鴨川添いの式場には、時折さくら吹雪も舞い、舞台設定は満点。ウェルカムボードも人形も手作りで、ひとりひとりへのメッセージを手書きし、質素なのですが心こもった式でした。結婚の誓いは人前式で、ジャズ風の音楽が演奏されたのも良かったし、披露宴には弦楽四重奏で事前に厳選したモーツアルトやビヴァルディーが演奏されるという嬉しい設定になっていました。

今日は、三家族全員揃って嵐山を愛でながら渡月橋まで散策。美味しい豆腐料理で美酒を味わいました。これからは喜びや楽しみが倍になるかと思うと嬉しい限りです。

(2002-03-31)

No.40
ペンキ塗り

昨日は、ベランダ菜園の囲いに使う材木が届いたので、ぽこさんのお手伝いで(塗料をこぼして、邪魔もしましたが)、塗装仕事に精を出しました。まずは防腐剤をしっかりはけで塗り込みます。終わる頃になってようやく要領を得、これなら塗装屋さんへパートに出れるかも…と面白くなってきた処でおしまい。

今日は本番の塗装仕事。しかし、ペンキ塗りって簡単そうで楽じゃないがいね。材料にしてたった3坪程の面積だったのですが、ちょっと堅めのはけで薄く塗り込む作業は、結構体力がいる作業で、しんど~!合間に、庭の草取りもして、いやはや今日はくたくた。

昔、木造だった物干し台に父が塗料を塗っていたことを思い出しました。今はすっかり見られなくなった木造の物干し台には、母が好きだった鉢物がいろいろ並んでいました。家を新築した時に、天井板に漆を塗った思い出も忘れられません。母が漆にかぶれてしまったので、変わりに私が手元となり、父が丁寧に刷毛で塗りこんだ漆を布でふきとりました。一枚一枚仕上がってゆくのが嬉しく、流れる汗に捻りはちまきで精出していたことが、とても懐かしい思い出です。

(2002-04-15)