雑記帖 - 旅日記

No.14
2007春~カナダ「呆れた話」 その3

山から下りた後の楽しみの1つはジャグジー&プール。どんなにくたくたになっても、身体をほぐすと、又明日滑るぞーと元気が出てくるから不思議である。ジャグジーで、片言英語で話すのも楽しみ。なぜか、スコットランドやマンチェスターなどのイギリス方面が多かった。一応、バタフライなどを披露しておく。

そして、もちろん、最高の楽しみは食事。バックカントリーを終えた日のディナーは、「アレクシー」。トのお薦めレストラン世界編の一つ。ビル・ゲイツやシュワちゃんのウィスラーでの一押しは、リステルホテルの「ベア・フット」らしいが、トは絶対「アレクシー」。ここのジビエ料理は、何ともいえない。

お目当てのツグミは無かったが、O君と、ランド料理とシー料理のコースを注文する。ワインは、料理に合わせてブリティッシュコロンビア州のワインを次々グラスで出してくれた。今となってはメニューは覚えていないが、相変わらず旨かったとしかいいようがない。O君は、興奮の余りワイングラスをたおして、トのモリカゲシャツが、ワインに染まった。早速スタッフが駆けつけて、赤ワインには塩がいいと言うことで、処理してくれる。

もう一回の外食は、ビレッジノースの「エレメンツ・アーバン・タパス」。ここは、お洒落なカジュアルダイニング。ここも大人気で満席。但し、サーモンの天麩羅料理は頂けなかった。隣席のイギリス人もまずいという顔をする、「YOU MUST COME TO JAPAN TO EAT REAL TENPURA」というと苦笑い。クリークサイドの「リムロック・カフェ」が大評判とのことだったが、こちらには今回はゆけなくて、残念。

ウィスラーでの最終日、肉体派を脱せんと、アイリッシュテナーコンサートに出かける。アイリッシュ、とはややイメージが異なり、出てきたのはカナダの北島三郎か三波春夫という感じ。歌の合間に漫談をしているらしく、会場が爆笑の渦なのに、二人だけ、何一つ分からず無反応。寂しー。O君は、口直しとばかりに、2度目の「バッファロー」へ。ここでも、ネイティブイングリッシュの壁は厚く、早々に御帰還。二人で、日本に帰ったら、駅前ノヴァに行くぞと固く誓い合った。

それにしても、驚いたのは、とにかく日本人の少なかったこと。かって、あれほどウィスラーに溢れていたのに、あれもバブルの流れの一つだったのか。それと、ゲレンデにはボーダーが少なくて、殆どスキーヤーのように感じた。スキーも多種さいさい、特に太い板が目立った。ほんまにあっちの人は、強いスキーをする。他方、ギブス、松葉杖の人も多かったが。

世界一美しい街の一つバンクーバーは、やはり、ため息が出るほど美しかった。春の花が満開。今回はO君の希望により、ベイサイドのパンパシフィック。部屋は、以前に滞在したフォーシーズンがよかったように思う。「インペリアル」で飲茶を食べ、ロブソン通りをぶらつく。美術館でたまちゃんのおもちゃを購入。空港の本屋でも、店のおばさんに「6ヶ月の孫にふさわしい本を」と頼むと真剣に数冊選んでくれた。パンパシフィックの骨董店を覗くと「NOW ONLY」の値札に引き寄せられる。留守番のぺこさん&ぽこさんにペンダントを一個ずつ購入。翌朝店を覗くと、依然「NOW ONLY」だった。

早くも帰国の最終日、空港へ向かうべく乗り込んだタクシーの運転手に「日本人か、オシムをしっているか」と尋ねられる。彼は14年前、ユーゴスラヴィアから戦火を逃れてバンクーバーに来たという。「アメリカは、世界中に戦争を作っている」という。「I THINK SO PEASE IS BEST」と答える。「オシムに何か伝えることがないか、日本に帰って伝えるぜ」というと苦笑い。チップをはずんで別れた。たまには、世界から日本を眺めるのも良いもんだと言うかするべきであると痛感した。

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シェフO君のスペシャルディナー
(ウィスラーにて / 2007-03-28 / ト)
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ヒャッホォ~(怪我が多いの当たり前ヨ)
(ウィスラーにて / 2007-03-28 / ト)
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でも、とにかく陽気なカナディアン
(ウィスラーにて / 2007-03-28 / ト)

文 ト 編と絵 ぽこ